果てしなく続く”日常”とう苦痛の中で生きる人たちへ
私は常々思うことがある。
閉ざされた工場勤務の中で、代わり映えのしない労役のような作業を延々と続けていて気が狂わないのかと。
私はこんなことをするために生れてきたのかと。そして、私の感じるこの鬱屈とした感情は、私だけのものなのかと。
私は2025年5月末より、山梨県にあるとある工場で働いている。
ここに来たのは、ある目標を叶えるため、そのスクールに通うための資金作りのためである。なので、私にとってここは単なる通過点であり、東京には来年にはいく予定である。
自分の成長のためにも、都会にいたほうが必要だとも感じている。
だが一方で、ここに留まる人もいる。地元で育ち就職した新卒の子、中堅社員や管理職の方など。または、家庭があって地元で働く場所を探して、ここに留まっている人など。そこに留まるには色んな事情があると思う。
それに関して是非を問うつもりはない。
これは全くの主観であり反論もあるかもしれないが、私は田舎というのは閉ざされた空間だと感じている。
いや、ネットで世界中と繋がれるし、田舎だといっても交通網が発展した現代社会なら、都会に行くことだって(どんな片田舎であろうと)可能だ。
特に山梨県は東京まで2時間ほどで行ける距離である。物理的に遠いわけではない。
しかし、心理的に遠いと思わせる要因はあるだろう。山に囲まれた地形、さらに工場という閉鎖空間は、猶の事狭い世界に生きているという閉塞感を与えてくる。
工場で勤務している人が何千人居ようが、派遣社員のオペレーターが実際関わるのは数十人、下手すれば数人しかいない。
それほど狭い世界である。
私は、そんな世界に飛び込み、やはりこの空間(派遣社員として単純作業に数十年従事する事)の異常さに気づいた。
例えば期間工のように『お金を貯めるために満期まで働きます!』みたいな働き方なら未来はまだあるだろう。無論、精神的、肉体的に負担は大きいが。
だが、10年働こうが給料もスキルも経験値の伸びしろがない単純労働に従事するのは極めてリスクが高い。夜勤手当と残業代欲しさに時間を削ることは、命をも削る行為だと私は感じる。
みな、その危険性には気づいているのだろうか?20代は大丈夫、30代前半はまだ行ける。でも、38歳で体に限界が来るかもしれない、41歳でうつ病を発症するかもしれない。そういうリスクを抱えているのが工場で働く派遣労働者の実情だ。
私は、外からきた”稀人”のような存在だからその事実に気づいた。色々と職場を転々としたおかげで、その現場の雰囲気や人々の空気間を観察することができた。
派遣社員、派遣会社を全否定するつもりはない。ただ、これは確信を持って言える。
『何も目的や向上心もなく派遣労働者という雇用、働き方を続ける事は人を不幸にする』と。今、不幸でなくても、何れ心身に不調を来たし不幸な現実が舞い込んでしまう。
“いや、そんなことはない俺は(私)は楽しく生きている”という人がいたら、私はもう何も言わない。ただ、工場で働いている人はやはり生気がない、目に輝きがないと感じるところではある。
ここに願望を連ねる。私は、何気ない日常という”苦痛”の中に自らを投げ込み、彼ら彼女らの一つの希望になりたい。
何れ去っていくものではあるが”あなたと会えて良かった”と思ってほしいし、私も出会った人にそう思いたい。
ここまで読んでくれてありがとうございます。いま苦しんでいる人はそれが取り除かれますように。
それではまた。
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